評価という不安定なものは「絵」に置き換える

評価に納得できないときには、評価を「絵」に置き換え、その「絵」は自分が描いたものではないと思えばよいと考えています。現実逃避ではなくて、その成果をあげたのは過去の自分であると捉えればよいという意味です。自分が描いた絵を酷評されると傷付きますが、酷評されるのが他人の絵であれば「そうかなぁ、自分は好きだけど」と思うだけですから。


TEXT BY SHIGERU KOBAYASHI


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以前、成果と評価に関するブログ「華美な花も地味な草も、同じ成果であるという認識」を書きましたが…それに引き続き。

企業などの組織で働いていると若い人は特に、どうしても自分の業務に対する評価に納得できないときがあると思います。

若い人が上司から指示をされて、その結果は成果として認められるのですが、その成果に対する評価が自分が考えていたものに比べて低いこともあると思います。そして、その評価によって昇給・昇進がきまるから、評価に納得することが難しい場合もあるかもしれません。

しかし、物は考えようです。

「評価」というものは、それを行う人が誰であるかによって変わる不安定なものです。そんな不安定なものにしがみついていては、心が苦しくなるのは当たり前です。「評価」はしがみついて執着するものではなく、その評価が良いものであっても良くないものであっても、自分にそう見られる原因があることを知る機会にすぎないと思います。

それでも、もし、納得がいかない場合には、その「評価」を「自分のものではない」と思ってしまえばよいのだと思います。別に現実逃避を薦めているわけではなく、それは「過去の自分」という別の人間のものだと思ってしまえばよいと言うことです。

例えば、自分が描いた絵を他人から「よくない」「うまくない」と言われると傷付いたり、反論したくなったりします。

しかし、自分にとっては魅力的に見える絵でも、それが自分ではない他人が描いた絵であれば、その絵に対して第三者が「よくない」「うまくない」と評価したところで、「そういう評価もあるのか、自分は好きなのだけれども」くらいにしか思わないか、反論したくなっても、自分の絵が批判・批評された場合のそれに比べれば程度は低いはずです。

そして、その上で冷静に、どの点がそういう評価の原因になっているかが見えてくるのではないかと思います。

もちろん、評価が理不尽であって、それを修正する必要性が低い場合もないとは言えませんが、それでも何かしらの原因があるはずです。全ての結果には原因が必ずあるはずだからです。



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