「趣旨解釈」は人の為ならず

法律の条文は、文言だけで解釈するのではなく「趣旨解釈」することがあります。趣旨解釈は、当該規定の趣旨からしてこのように解釈すべきだという考え方です。この「趣旨解釈」は日常でも使えます。そして、趣旨解釈することは人の為だけでなく、巡って、自分の為にもなると思います。


TEXT BY SHIGERU KOBAYASHI


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法律の条文は、文言だけでは(文字を読むだけでは)一意に解釈しにくいものもあります。しかし、法律である以上、その規定する内容は一意に確定されなければなりません。それを助けるのが「趣旨解釈」というものです。

「趣旨解釈」とは、文言上はAという意味に捉えることもできるが、その規定の趣旨からしてBという意味に解釈すべきとすることです。

例えば、特許法では第21条の規定の解釈として文言上は「承継人に対してのみ、手続を続行できるのか」または「承継人に対しても、原権利者に対しても、手続を続行できるのか」が読み取りにくいのですが、これに対して判例・通説は後者であると趣旨解釈しています。

このように、文言だけでは一意に伝わらないことは法律の条文だけでなく、日常的にも少なからず有ることかと思います。

発言者が、発言内容を一意に解釈できるように明確に話せば済むのかもしれませんが、ミスのない完璧な人間なんていませんので、不明確な言葉で話してしまいます。また、明確な言葉にしようとすると、どうしても長ったらしく無味乾燥な言葉になってしまうため、それを避けるがあまり、不明確になってしまうこともあります。

それを受け手側が、相手の心情・立場を慮って解釈してあげる。それが日常における趣旨解釈かと思っています。

個人的に、文言解釈が危うく、趣旨解釈すべきだと思う事例に下記の名言があります。

「人に負けることは恥ではないが、昨日の自分に負けるのは恥である」

発言者が誰なのかは正確に認識していないのですが、これを文言解釈すると「(前半省略)昨日は出来たことが、今日は出来なかった。それは恥ずかしいことである」または「昨日の自分よりも、今日の自分は能力が劣っている。それは恥ずかしいことである」と解釈することもできます。

これを生真面目に受け取ることは危ういし、少なくとも息が詰まってしまいます。私たちは人間だから、例えば、「昨日は出来たのに今日は出来なかった」なんてことは沢山あります。人間の心は玉虫色だから、昨日の自分の方が輝いて見えることもあります。ドラクエの世界ではレベルアップすればHPもMPも上がりますが、現実世界ではHPが上がればMPが減ったり、呪文を忘れてしまうことだってあります。

だから、この名言は「昨日の自分に負けるな」ということが趣旨ではなく、「人と競争することに主眼を置くのではなく、自分を磨くために日々努力しなさい」ということだと私は思っています。そして努力した結果、仕事に夢中になって筋力が衰えたり、筋肉を付けたがために走力が落ちたりしてしまうことはOKなのかと思っています。

人との対話、言葉との触れ合いの中で「趣旨解釈」を用いることは、話し手を助けると同時に、聞き手である自分をも助けるのではないか。趣旨解釈は人の為ならず、自分の為であると、私は思っています。



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