華美な花も地味な草も、同じ成果であるという意識

企業などの組織で働いていれば、どうしても個人に対して「成果」を挙げる要求がついて回ります。企業などは利益を追求しなければならないので、個人に対しても「成果」を問うてくるのは当然ですが、その「成果」の扱い方は概して難しいものだと思います。そして、特許出願業務も御多分に漏れず、その扱いは難しいものです。


TEXT BY SHIGERU KOBAYASHI


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「成果の扱い方は難しい」という問題は、本質的に解決が極めて難しい問題だと思います。といいますのも、「成果」という実体を捉えにくいけれども確実に存在するものを、1年に少なくとも1回は、「評価」(ポストおよび給与)という実体を捉えやすいけれども存在が不安定なものに置き換えなければならないからです。

さらに、「評価」には給与やポストがついて回りますが、組織における給与やポストは有限なものであるため、当人たちにその意識はなくても、組織の中で給与・ポストを奪い合う関係になってしまいます。一方で、「成果」というものは奪い合うものであってはならず、シェアし合う、助け合う、それによって高め合うという観念のものです。

だから、本来的には「成果」を「評価」に置き換えることは無理があると思います。

だから、そのような無理がある置き換え作業をしなければならない立場にある人には大変なご苦労が伴うと思います。それと同時に、そのような立場にある人は、「成果」と「評価」とは全くの別物であることを承知しておかなければならないとも思います(全く別ものであることを承知しておけば、それが言語にも、非言語の態度にも現れる)。

特許の世界における「評価」を例にとると、例えば、「評価」をしなければならないことにとらわれ過ぎて規格特許や侵害訴訟などの一見「華美」な案件だけを成果と認めるのではなく、発明者としっかり向き合ってインタビューしたり、先行文献を調査したり、出願状況などを管理したり…そのような派手ではない作業も立派な成果とするのが正見だと思います。

華美なものばかり気にしていては、モノゴトの本質を見誤ってしまう…そのことを古人は、綺麗な歌で表現してくれています。

花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間の草の 春を見せばや(藤原家隆)

華やかな花は美しくて目を惹きますが、山里の雪がとけたところにはる草も立派な春です。華美なものであるか地味なものであるかにかかわらず、成果は成果として正見することが、肝要だと思います。



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