「国語が苦手でも法律は読める」

小学生の頃から国語が苦手だった私でも、法律との相性はバッチリです。法律は、国語と同じように、数字ではなく言語で処理するものですが、数学と同じように、論理的かつ明確に処理するものだからだと思います。



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 先月、最後の大学入試センター試験が行われました。センター試験かぁ…と昔の記憶を辿って思い出すのは「現代文+古文漢文が合計100点未満だった」ことです。

わたしは小学生の頃から国語が本当に苦手でした。別に文章を読むのが嫌いだったわけではありませんが、うまく正解を導き出せませんでした。

例えば、このような問題。

「わたしは 屋外に出て 夜空を見上げた。そこには 無数の星が輝いていた」

[1](1)文中の「そこ」は何を指し示しているか、答えなさい。

小学生の私は考える。「そこ」の前に出てくる場所は、屋外と夜空の二択だ。夜空だと思うけれども、自信がない。夜空って、一言で簡単に言うけれども、本当は、果てしなく広がる宇宙空間の中に無数の星が何十光年も離れた距離を持って存在しているもの。その三次元に広がる壮大な空間領域を、まるで二次元の一枚の絵であるかのように「そこ」とは表現しないのではないだろうか…。一方で、屋外と言っておけば、間違いではない。星が屋外にあるのは間違いないから。だから、答えは「屋外」にしておこう。

正解は…もちろん、夜空です。当てはめてみたら、「屋外には無数の星が輝いていた」より「夜空には無数の星が輝いていた」の方が日本語として自然だから。でも、小学生の頃は(高校生になっても)、その感覚を掴むことが全然できず国語の問題をうまく解くことができませんでした。

また、作者の思いを答える系の問題も本当に嫌でした。「人の気持ちは、その人しか分からないじゃないか。だから、推測しなさいってことだろう…でも、推測って人によって違うものだ。ということは、この問題は作者ではなく、出題者の思いを察するのか?分からない、本当に分からない」

となってしまう。

小学生の頃はボキャブラリーも少なくて、上記のように「言い訳」を言うこともできませんでしたが、当時の自分の気持ちを今の自分が代弁すればこのような感じになります。

そんな国語がダメダメだった私ですが、法律との相性はバッチリです。弁理士試験に合格するまでに要した勉強時間も比較的短い方だったと思うし、法律および判例を読むこと、理解することは全く苦ではありません。というのも、特許法等の法律は、国語と同じように言語で処理するものだけれども、数学と同じように論理的かつ明確に処理できるものだからです。

私たち弁理士が作成する「特許出願書類」も法律文書としての性格を有しています。だから、例えば、特許請求の範囲等でも、「そこ」とは絶対書きません。

もし、見上げた夜空を指し示して繰返し言及するならば、「前記夜空」と言います。また、最初に見上げた時から時間が経過して見る夜空を指し示すならば、地球の自転公転を考慮して、「第一の夜空/第二の夜空」と書きます。

国語が苦手でも、法律は読めます。国語が苦手な理系の皆さん、法律は別ものなのでご安心を。

ところで、国語を批判しているわけでは全くありません。むしろ、幼少の頃から、国語の勉強ができる人を羨んでいます。国語の勉強ができる人って、自分の中では(サンプル数の少ないですが)、思考のバランス力と共通認識を把握する力が秀でている感覚があるからです。

国語の勉強は大切です。「それ」は間違いない。



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