クレームを作成するときには発明の本質的部分だけを見極めて記載し、モノ(余計な文言または構成要素)をもたせすぎない方が良いです。なぜならば、余計なモノが増えると、権利の価値が薄くなるからです。そして、これはビジネス一般にも、生活にも通用する話しのようです。6万本の意識の矢をどこに射ますか?という話です。
TEXT BY SHIGERU KOBAYASHI
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「技術者Q&A事例:Q.019 請求項の記載と権利範囲の関係について教えてください。一般的…」にも書きましたが、特許請求の範囲の請求項(クレーム)の記載は、一般的傾向として、文字数が少ない方が権利範囲は広がります。
(※発明の明確性要件を充足させるために補足的に記載する文言があっても、それによって権利範囲が実質的に狭くならないということもありますので、必ずそうだとは言い切れませんが…)
だから、クレームを作成するときには、出来得る限り贅肉を排除します。クレームにモノをもたせすぎると、その価値が薄まってしまうからです。
これを具体的に説明すると、クレームを作成するときには、まず発明の本質的部分といえる技術的特徴を見極め、それを踏まえて、その本質的部分を明確に記載し、その他の記載要件を満たすために必要な脇役は極めて薄く抽象的に記載します。
「クレームは製品の設計仕様ではない」ですし、一番言いたいこと=本質の周りに余計なものを付けると、本質が見えずらくなってしまうばかりか、その本質の価値さえ下げる(特許権の価値を下げる)ことになるからです。
ところで、「クレームにモノをもたせすぎると、その価値が薄まってしまう」というのは、ビジネス一般にも、生活にも通用する話であると思っています。
人間は生活の中で1日に6万のことに意識を向けているという話を聞きました。これを比喩的に表現して、「一日に6万本の意識の矢を射る」と言うようですが、日常の中で「意識にモノをもたせすぎると」、6万本の意識の矢が四方八方に放たれてしまいます。
意識というのは「モノをつかまえるアンテナ」のようなものと思っています。この意識が、自分の望むモノだけでなく、色々なモノ、雑多なモノ、自分にとって本当は必要ではないモノにも放たれると、その一つ一つに向かうアンテナ・ビームが薄くなってしまいます。
つまり、意識・心にモノが多すぎると、ビジネスにおいても事業が成就することなく、振り返ってみても自分にとって何が大切だったのかが分からなくなる。
そうではなくて、自分で把握できる程度の数の大切に思える事柄にだけ6万本の意識の矢を射ることで、それらの事柄に心のエネルギーを無駄なく注ぐことができるので、人事を尽くすことができる、そうしてビジネスでも、資格取得でも、転職でも、日常生活のなかでも花が開くのではないかと思っています。
特許実務でも、ビジネス一般でも、日常生活でも、「大切なものを見極め得る目」と「意識をそこに向ける意志の力」を持っていたいと思っています。
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